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ラボミーティングを行いました

先日、都内にて自信力↑ラボのミーティングを行いました。
限られた時間内にスムーズな進行を行うため、事前に各自がアジェンダを作り
準備した上での会合でした。
おかげで非常に有意義な会合となりました。以下に、これから私たち自信力↑ラボが
取り組んでいきたいことなど話し合いで決まったことをいくつか簡単にご紹介します。

・オフィシャルサイトとブログの使い分けとリンケージ
日々のあれこれをご紹介したり、ラボをご利用の皆様とのインタラクティブな関わりを持つためにブログを始めましたが、ラボとしての変わらない理念や掲示板をいつも変わらぬ状態で存在させるためにオフィシャルサイトも必要だと考えます。ですから、今後さらに双方を活発に利用していけるような工夫を加えていきたいと思います。

・よりインタラクティブに

自信力ラボを利用してくださる皆さんのために、そしてこれからもっと多くの方が利用してくださるように、よりインタラクティブな交流の機会を作ろうと考えています。
・掲示板@オフィシャルサイト
既存の掲示板です。自信力↑ラボに関連するトピックを立ててご利用ください。
http://jishinryoku.com/

・カテゴリー別ご相談受付@オフィシャルサイト
ただいま準備中でございます。


・体験談募集@ブログ
新しくカテゴリーを作りました。

・ご相談受付@ブログ
新しくカテゴリーを作りました。コメント欄にご相談をお寄せください。

・技術的なこと
とりあえずブログのモバイルバージョンを作りました。通学/通勤で移動中など、手持ち無沙汰なときにでも覗いてみてください。
これから、公式サイト、ブログ共々よりよくしていきたいと思います。


これからもラボをよろしくお願いします。

ラボから体験談募集のお知らせです

自信力↑ラボのブログでは、読んでくださっている皆さんから
体験談を募集してみようと思います。

「体験談募集」というカテゴリーの中にテーマ・situationごとに募集を
いたします。ブログのタイトルにそれぞれのテーマを提示しますので、
なにか該当する体験談がございましたらコメント欄に書いていただけると幸いです。

また、一般に公開することをご希望でない方やご相談は、
自信力↑ラボまでご連絡ください。
お問い合わせはホームページをご覧ください。
http://jishinryoku.com/

自信力についての議論 −成績評価と教師の自信力−

久しぶりの記事になります。
今回は、他のブログで行われた自信力についての議論をご紹介しようと思います。

mikaさんの学生時代、お父上が亡くなった直後の試験を追試にしてもらおうと担当の先生に話しかけたところ「私には話したい事はありません」と拒絶されたため、そのまま試験を受けた、という記事に対して、aokiさんとmikaさん、そして河地がコメント欄で議論しました。それらに多少手を加え、ここに掲載します。

詳しい内容が見たい方は、以下のアドレス(mikaさんのblogの該当記事)にアクセスしてみてください。
http://blogs.dion.ne.jp/mikam_328/archives/4993085.html

また、それらを含め、自信力に関係した議論の流れについてaokiさんがご自身のblogでまとめています。こちらもあわせてご覧ください。
http://blogs.dion.ne.jp/aoki/archives/5137946.html

以下、議論の内容です。

aokiさんのコメント
学生のつらさや悲しみなどを感情的には理解することはできるところが多いかと思いますが、それでもなお、私は同じようなシチュエーションに対して、この先生とほぼ同じような対応をするだろうと思います。
こういう事例のたびに特別な対応を取ると例外規定が増えすぎて基準が不明確になってしまうのを恐れます。

その一方で、場合によっては不合格になってしまうこともあるでしょうが、それでもなお、普通では得がたい貴重な体験をしており、その後の人生にマイナスばかりではない影響をもたらすものと考えます。

嫌われようと何を言われようと、通すべき筋を通し続けることが必要だと思っています。
(あえてこういうコメントとします)



mikaさんのコメント
社会学の先生を恨むどころか、今でも感謝しています。
社会の厳しさ、現実と向かい合うきっかけを下さったのだと思います。あの涙は、甘ったれの自分を恥じた涙でもありました。

泣きながら答案を書いた時の、傍目には滑稽で見苦しい踏ん張りが、それからの私を支えてくれたのだと思っています。
同時に、厳しさの中の僅かな温かさが、私のその後の人生を大きく変えました。どん底だからこそ見える人間社会。それは厳しさだけではなく、「人間はすばらしい」と思わせる優しさや尊さを教えてくれました。



河地のコメント
mikaさんとaokiさんのやりとりを通じて実にいろいろと考えさせられます。わたしも結構厳しい教員です。学生の成績評価をどう決めるかは最初から算定の基準を学生に伝えてあるので、いかに就職が決まっていようと、基準に達しない人は単位は取れないことになります。

 わたしは自分の成績評価の基準を守ることと、学生に有無を言わさず拒否することは別のことだと思います。
 話だけは聞く態度を持つのがいいとわたしには思えます。教員も人間なので余裕のない時もあります。もちろん!けれど、人生の「一日の長」という側面はあるのだし、なぜ教員が学生の特別扱いをできないかを説明する必要はあると思います。



aokiさんのコメント

・成績評価の基準を明確にしそれを守る
・他の学生との関係で不公平になるので理由の如何を問わず特定の学生を特別扱いしない

この二点に集約されるものと思います。
あとは、それをいつどこで学生に伝えるのか、ということになります。
一般的に全体に説明することが基本です。
しかし、聞いていない学生がいるのは当たり前ですし、聞いていない学生に限って泣きを入れに来ることが多いです。

それゆえ、そういう学生が現れるたびに説明するのが教育上よいのだろうと思います。
あとは、シチュエーションによるでしょうし、教員も人間なので、そのときの気分によってはうまく対応できないこともある、というところでしょう。
いけないのは分かっていても、なかなか難しいものです。



mikaさんのコメント
私は、学生だけでなく先生たちにも自信を持って頂きたいと思っています。心に深い悩みや迷いを秘めながら、それでも自信を持って指導に当たって下さる先生方が必要とされているのではないでしょうか。
学生たちはわかってくれるはず。出来れば、社会に出る前にきっちりものごとに対する真摯な姿勢、基本的な常識教育は済ませてくれると会社&社会としてはありがたいです。



河地のコメント
今、小中学校の教員の職場定着率がとても下がっています。教えることに自信を失くして辞めて行く教員が多いとのことです。

子どもたちに怪我をさせないように、子どもたちから嫌われないように、校長から、そして親から文句がでないように・・・・そんな風に気を遣っているうちに、子どもにどう接してよいのかわからなくなってしまう教員も多いのだと思います。
そういう状態が続くと「自信がない」教員になってしまうように思います。

mikaさんと aokiさんは、どのような人が自信のある教員・ない教員だとお思いですか?
「自信を持って指導に当たる」とは、わたしが考えるには、
生徒・学生がこんな風に成長していってほしい――たとえば「世間の価値観を鵜呑みしないで自分の価値観を持つ人間」「他人の目を気にせず、自分の価値観を必要なときに説明できる人間」「弱い人がコマっている時に助けができる人間」になってほしいなどなど――自分なりのイメージを持っていることだと思います。

そういったイメージをわたしはかなり強く持っているように思いますが、怖いのは、他の価値観を認めない狭い了見に陥ってゆく危険性が大きいことです。また間違いをすることが多いことです。

押し付けてはいけない、ろくに知らないで判断してはいけない・・・わかっているつもりでも、心の底で、「あの学生はマスコミの意見に振り回されていて自分の意見のない学生だ」などというように、judgeしてしまっている時が往々にしてあり、失敗ばかりしています。



mikaさんのコメント
個人的には、自信のない人の方が自信満々な人よりも好きです(笑)。
ちょっとした瞬間に、苦しそうな決断の裏が見えると、「この人を支えよう」という気になります。自信のなさを見せないけど、でもチラリと覗く人間性っていうのかしら・・・。

教員の場合、よくわからないですが、やっぱり一般社会と同じではないでしょうか。むしろ、大いなる冷や汗をかくこと、叱咤されること、自信をボロボロにされることが少ない分、ちょっとしたことで神経が内側に向いてブラックホールにはまるのかもしれませんね。
先生として、人間として一本筋の通った経験を蓄積していれば、誰もが乗り越えられると思いますが、いかがでしょうか。

ひとつだけ、記憶に留めている学部時代の指導教官の言葉を紹介します。
「みか、お前は苦労していて、周りの学生がみんなボンヤリ遊んでばかりいると反発したくなることもあるだろうね。でも、彼らは彼らなりにいいところを持ち、悩み、学んでいるんだよ。バカにしてはいけないよ」
はっと何かに気付かされた一瞬でした。
まずは、相手を認めることから始めなくてはいけない。



河地のコメント
mikaさんの指導教官は経験を多く積み、そのことからいろいろ考えて、深い洞察を培っていらした方とお見受けします。その先生の言葉こそまさにわたしにも当てはまります。

mikaさんの指導教官がおっしゃった「馬鹿にしてはいけないよ」「彼らは彼らなりにいいとことを持っているし、悩み、考えているんだよ」って、わたしも自分と戦いながら自分に言い聞かせています。

ところで、自信に関してですが、以下にちょっと異論。言葉の定義についてですかね。

「苦しそうな決断の裏が見える」ことと自信のないことは同じでしょうか?
決断にいたるまで迷ったことが外に出せるということはわたしには自信のある人に見えます。自信のない人は、さんざん人に聞きまわったり、くよくよ考えた末に、「すべてオレ様が決めたことだ、オレ様が信じていることだ」と自信満々に見せたがるのではないでしょうか?

mika様が「この人を支えよう」と思われた方が実際にいらしたとしたら、その方が自信がないから好きというのとはちょっと違うような気がしますが。から威張りせず、自分の自信のなさを隠さぬ誠実さをmikaさんが感じられたからだと思うのですが・・・・。

たぶんmika様とわたしでは、「自信」という言葉の定義が違うのかもしれません。簡単に説明しますと、自分の弱点、欠点を含めて、自分を好きと思えること、結構存在価値があると信じられること、結局のところ、自己をトータルで肯定する力、トータルで考えたときに「自分はいいとこある」と積極的に自分を認める力をそう呼んでいます。(「13歳からの自信力」1章)



aokiさんのコメント

さて、自信のある教員とはどのようなものか、についてです。
自分自身のことをからめて言うと、私には自信など全くもってありません。
自分の研究にも教育にも自信はありませんが、今の自分があるのは、あきらめずにコツコツとした努力を積み重ね粘り強くやり続けた結果だと思っています。

そんな自分が、さも自信があるかのように映る態度を学生に対して取れているのはなぜか、ということを、お二人のやり取りを見ながら思いをめぐらせてみました。

現時点での仮説としての結論は、「基準」を明確にしていること、だと思います。
たとえば、良い悪いということを言う場合に、何故そういえるのかの基準が明確であることは、相手にとっての納得につなげる上で大事なことです。
できれば、その基準も含めて相手が納得なり理解なりできるものであればよりよいでしょう。

前提には、個人の認識には限界があり、そのため全知全能の判断基準など示しうることはできないということについて謙虚に認めたうえで(自分の弱さというか弱点を素直に認めるという意味において、mikaさんのおっしゃることと通ずるものがあると思います)、その時点での自分の最大の能力を持って考え抜いた基準を提示する、という真摯さが必要です。
人はそういうのを、誠実である、というのかもしれません。

迷いはありつつも、できるだけ多数の人の納得なり賛同を得られると思えてはじめて、一定の自信を持つことができるのではないかと思います。

それゆえ、認識の発展があったり、状況の変化などがある場合には、その基準は変更(というかバージョンアップ)されるものともいえると思います。
それは、基準がぐらついているのとは別でしょう。
基準が明確でなかったり、理由なく変更されるようなことをしてしまう場合、自信がない、というのかもしれません。
それは”自身”がない、とも言える状態でしょう。

個としての自分を多少なりとも確立している人が自信力があるというのかもしれません。
そのような個は、たくさんの他者とのかかわりの中で培われるものだと思います。
だから、さまざまな経験をし、それらをよきにつけあしきにつけ教訓として学び積み上げることが、支えとなるでしょう(ゆえに、やり続ける、ということの意義は大きいと自分なりには思っています)。
それゆえ、mikaさんの先生の教えが素晴らしいのでしょうし、河地さんが例示されたような安易に他人の意見に流される学生はよくないということなのではないかと思います。

基準を明確にしうる、ということは、河地さんがおっしゃる”ビジョン”を持っている、ということに通ずる話だと思います。





河地のまとめ
自分自身の判断基準、価値基準というものを持っていることが「自信」につながり、同時に「自身」を持つことになるというaokiさんの意見に大賛成です。

今、日本中で大人も子どもも自信がなくなっています。わたしの考えでは、それはわたしたちひとり一人が自分自身の価値観を持たなくなっていることと大いに関係があります。メディアはわれわれに大きな影響を与えています。短期間に(大)金持ちになった人、何かで目だってマスコミの寵児になった人、「セレブ」と言われる人、そういう人を崇(あが)め、成功者とする浅薄な価値観を日々送り出しています。だから、わたしたちは多様な生き方に価値観を認めることが少なくなっており、お金持ちでなくても職人芸を持っていることへの自負を感じたり、ささやかな幸せを感じたりすることが減ってしまいました。「自分は大金持ちでもない」「マスコミの寵児でもない」「セレブでもない」ということで、自分の価値、生きる価値を認められない人が増えているように思えてなりません。わたしたちが自分の価値観を大切にして自信をつけてゆくためには、もっともっと「多様な生き方」「平凡な幸せ」「額に汗してこつこつ働くこと」に価値を認めていく必要があるように思います。みなさんはどう思われるでしょうか?

『13歳からの自信力』韓国語版出版のお知らせ

自信力↑ラボのホームページのトップでもお知らせしていますが、

「13歳からの自信力」が韓国で翻訳・出版されました。
韓国在住の朴玄石さんとおっしゃる方の翻訳です。
この本が、日本だけでなく、韓国でも役立てることを
スタッフ一同うれしく思っています。

■河地先生の自信力UP関連著書については当ブログの『本のご紹介』にて
ご紹介させていただいております。

アムステルダムの写真

こんにちは、真崎です。
第一回目にお知らせしていたアムステルダムの写真について一言。
写真の要領が大きすぎてブログに直接アップすることが出来ませんでしたので、私のflickrからご覧ください。
こちらです→
http://www.flickr.com/photos/45989942@N00/375287127/

tagのlandscapeのところにこれからもいろいろ追加していきます。

タグ : アムステルダム flickr